

vol.23
|
「大盛り」と「松」の間に
最近20代前半のバンドの仕事をしていたり、今まで以上に年上の、いろんな立場の人と会うことが増えたからか、今まではあまり感じたことのなかった年齢による価値観の違いや、流れている時間のスピードの違いを感じることがあります。例えばバンドのメンバーがご飯を頼む時の基準。もちろん彼らは基本「大盛り」です。牛丼でも大盛り、ファミレスでもご飯は大盛り、パスタは大皿、蕎麦屋のカツ丼も大盛りです、そのうち食べ放題のお店に言っても「大盛りで」とか言いかねない勢いです。そして大抵は凄い勢いでコロっと食べてしまいます。僕はその食べっぷりを見ながらあっけにとられる事もありますが、同じ年頃だったときの自分は果してそんなに食べていたのだろうか?と思い始め、そして食べてなかったから大きくならなかったのかなあ、などと無駄に後ろ向きな事を考え始めたりもします。
そして感じたのは、頼む時の選択価値の違いです。例えば「小、中、大」もしくは「並、大盛り」というランクと「松、竹、梅」という選択肢が合った場合、彼らが選ぶのは間違いなく「大」、または「大盛り」なのです。それは殆ど自分の今のテンションや体調のバロメーターであるかの様で、彼らが「中」を頼むということは、何かしら彼らの中に問題が起こっているか、気分的に「中」にせざるをおえない事情がある、という事を意味しています。そして不思議なことに彼らが「大盛り」を頼むことはあっても「松、竹、梅」を基準に頼むことはまずありません。考えてみると、その奥ゆかしさと素直さこそが日本の国民性の奥深さを体現しているような気もします。若いということにさえ繊細さと大胆さのバランスが求められるこの国は、非常にハードルの高い社会であるような気もしてきます。
それとは別に、例えば40代、50代以上の地位も立場もわきまえている人が他人と食事をするような場合、基本的には自分ではあまりランクを選びません。出てきた物を、時間をかけてゆっくり食べて、時にはちょっと残したり(俺にくれ!と昔は思った)もします。そしてこれも不思議な事に、地位や立場に関わりなく、ある程度の年齢の方が「大盛り」を頼むこともまずありません。本当かどうかは別として知り合いが聞いた話によれば、とある外国の方が牛丼屋さんで「並の肉多めで」(それって並じゃないだろ?)と言い放った、という事を思うと、そこにも何か日本独特の文化のようなものがあるような気がしてなりません。それはひょっとすると年功序列や男尊女卑のような時代遅れの価値観の名残りだったりするのかも知れませんが、僕は意外に嫌いではありません。
そう考えると今の僕は「大盛り」な感じと「松」な感じを同時に味わえる、人生的には非常に恵まれた時間帯にいるのだ、と言う事を改めて感じます。だからどうだってことでもないんだけど。
2005.02.15
|
|