vol.18


「ひとつまみ」の感覚について

料理の本なんかを見ると「塩、胡椒をひとつまみ」なんてよく書いてあるけれど、「ひとつまみ」って一体どのくらいなのか、とふと思いました。手の大きさによってもつまめる量は違ってくるし、つまむ人の性格や体調によってもそれは変わって来るはずです。今日は機嫌が悪いからひとつまみの量が倍になる、といった事だって起きないとは言えない。僕はずっと本にするくらいなら「塩2グラム」とか「辛口の白ワイン20ミリリットル」とか全てのデータをそこに書いてくれれば良いのに、と思っていたのですが、本当の所、実はそれで誰もが美味しい料理を作れるわけではないのです。そしてそれは音楽にも、その他色んな事にも当てはまります。同じセッティング、同じ楽器を使っても同じ物にはならないのです。
「ひとつまみ」の加減は上手く説明出来ないし、出来ないからずっと「ひとつまみ」なのです。それ自身が一つの独自な宇宙を持っているとさえ言えます(言えるのか?)。
そんなわけで僕は最近(というかこの15分位)、実は物事の本質的な部分の多くはその「ひとつまみ」感に集約されているのではないか、と思っています。
とりわけ僕が好きな音楽の多くはその「ひとつまみ」感覚の集大成と言っても良い。それは音の質感だったり、プレイの繊細さ、もしくは荒っぽさのような物だったり、時と場合によって違う偶然がもたらす不確定な要素が積み重なって出来ているのです。僕達がやっているような音楽は譜面やデータでは伝えられない部分が多い(というかほとんどが伝えられない)ので、そういう音楽に対する「ひとつまみ」的解釈がとても重要になって来ます。というか、その部分が一番大切だったりもします。だから同じミュージシャンでも時々共通言語の少ない人には全く意味の解らない説明になってしまったりするんだけど。
知花ちゃんの録音のスケジュールがしばらく空いたので、このところはソロの続きにとりかかっていて、先日は久々に伊東ミキオ君(通称ミッキー)にピアノとオルガンをお願いしました。ミッキーとは僕の最初のアルバムからの付き合いなのですが、この間久々にゆずのライブに行った時に久々に再会(彼は僕が参加させてもらった時のツアーメンバーでもありました)して、このチャンスにまた手伝ってもらえる事に。
ミッキーと僕はある意味ミュージシャン仲間と言うよりも、いつも会うとザ・バンドがどうとかマーク・ベノが良いとか、同じ位の年齢では少ない渋めのアメリカン・ロックの話で盛り上がれる友達、という感じです。
なのでスタジオでも「半分寝てるガース・ハドソンみたいな感じのオルガン」とか無謀な事を言ってもすぐに感じがわかってもらえるので非常にやりやすい。そしてもちろんメチャクチャ上手い!僕は音楽を沢山知っている事が良いミュージシャンの条件だとは思わないのですが、「最近の奴は本当に音楽知らないんだよ」と寂しそうにミッキーが言っていて、ちょっと考えさせられました。確かに最近は音楽を聴く人とやる人の比率がそんなに変わらなくなって来たような気もするので、なんとなく言っている事は解らなくはないのですが、きっと彼の言う意味は評論家に必要とされるような「知識」として知っている音楽の事ではなくて、説明出来ない音楽に対する気持ちのような事なんだろう、と思います。やっぱりそういう、上手く説明の出来ない物=「ひとつまみ」な要素を感じられる良い耳を持ってると、その人のプレイのどこかにそれは再現されるのです。ミッキーはその「ひとつまみ」の深さを知っている、素敵なミュージシャンだと思います。

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