
vol.3
|
戦争が始まって1週間以上経ちました。いろんなところで戦争反対の声を聞くし、いろいろとライヴに行ってもみんなが戦争反対を訴える何らかのメッセージを言ったりしています。僕は別にそう言う類の思想とかを人に伝えて行くようなタイプではないような気もするので、あんまりやれとかやめろとか言うつもりはないのですが、少々不安に思うことがあります。それはみんながどの程度戦争に対して考えているのかが良く解らないということ。
もちろん僕も戦争は絶対に良いことだとは思えないし、お互いの価値観の違いを人殺しで解決するなんていう恐ろしく幼稚で非効率なやり方が通るとは思えません。
でも思うに、自分を含めみんな忘れている事があるような気がします。僕も戦争は良くないと言っておきながら、どうしても理解し合えない人間は存在するわけで、時には彼らに攻撃されたり、攻撃したりもする。嫌なものは嫌だし、どうしても納得できないことは受け入れられない。増してや、そのまま放っておいたら自分が殺されるかもしれないという程の危機的な状況に直面した時、それでも「争いは良くない」と居直れる強さが自分にあるかどうか、正直に言ってわかりません。
どんなに大きな国の大統領でも、どんなに力の強い独裁者も、人間をまとめる人間である以上、そういう部分があるのは極当然の事だと思います。一つの国を治める程の人達がそうであるのに、僕達にその弱さがないはずがない。みんながその弱さを持っているはずなのです。
僕は争いには「絶対の正義」とか、「正しさ」なんて物が存在するとは思えません。どうもみんなその漠然とした「正しさ」のもとに戦争反対って言ってる気がして、それが不安です。それはブッシュの言う正義なのか、フセインの掲げる正義なのか、それともあなたの考える正義なのか。そもそも正義って何なのか。
場所によっては戦争に反対することを、国旗を燃やしたり石を投げたり、催涙ガスまで撒かれる程の「暴力」で訴えているところもあります。それ自体が、もはや小さな戦争行為であるようにも僕は思います。「反戦」という考え方でさえも争いの材料になってしまう矛盾を、どう抱えて行ったら良いのでしょう。
争う人達にはお互いにそれぞれの「正義」や「正しさ」があって、それはきっとどちらの言い分もある意味正しくて、そしてある意味間違ってもいるのです。
僕は簡単にやれとかやめろとか言えないのは、自分の中にもそういう要素があるからです。僕は正しいと思うことをしたいし、信念を持っていたいけれど、それが誰に対しても正しい事とは限らない。
「やっちまえ!」と叫ぶ人と、「戦争反対!」と叫ぶ人との市民レベルでの小さな、でも大きな溝の中にもその本質はあると思います。100%の勝利や100%の敗北なんてないし、その隙間の危ういバランスの中にしか「平和」は存在しないような気がします。
2003.3.27
|
|